またもハロウィンで惨劇が・・・
16年前。自分はまだ高校2年生でした。
同級生にあたる服部剛丈くんがバトンルージュで殺害された事件・・・。
同じ、愛知県の高校生が射殺されてしまった痛ましく、悲しい事件。
あのころ、みんな我が身に起きたように思ったものです。
Freeze!
が
Please!
に聞こえて、玩具の拳銃(でも実際は本物の44マグナム!!)と思って近づいて「ズドン!」
当時、Freezeなんていうのはスラングで、辞書でも掲載順位がかなり後の方、意味も自動詞で「じっとする」「立ち止まる」なんて風に載ってた記憶があります。
あの事件の教訓は、今のブッシュ政権下のアメリカでは活かされていないんですね。
テロとの戦いを建前として、各住宅が武装していく中での悲劇なんでしょうか。
銃犯罪に立ち向かうためにも、銃は必要という論理は
核に立ち向かうには、核が必要というものと酷似しています。
そうかんがえると、アメリカ社会から銃を根絶するという理想は実現しそうにもありません。
二度と繰り返して欲しくない悲劇がまた起きてしまったことに、ぶつけようのない悲しみと苛立ちがつのりました。
少なくとも、あの時代を同じ世代として生きた緑茶やたぬーんには理解いただけるんじゃないかと思います。
学校でも、基金立ち上げの為に募金活動してたよな。
自分のこととして受け止めていたんだよね、あの惨劇は。
なのに、結局もとの木阿弥になっちまったよ・・・。
あの、熱い思いを踏みにじられたようで、悲しくてなりません。
社会に対して、本気で怒りを覚えたのは、あの時だったと思うし、あの時から、アメリカという国が嫌いに(人ではなく、国家とその構造)なったんだよな・・・。
何も変わらないんだよ、あれから、アメリカも日本も。
正確には変わりつつあったのに、いつのまにか同じことをループしてしまったというべきなのか・・・。
この憤りはなんとも。。。どこに持って行っていいやらわからぬのです。
結局、正当防衛か過剰防衛かなんてことで終始しそうで。