報道のあり方にも疑問を抱くのですが。なにについてかというと、
リンナイの給湯器CO中毒事故について、です
名古屋の会社がまた言い逃れか?と思うのは心苦しいのですが、PLを盾に何でもかんでもメーカーが悪いというのは日本人らしくないと思える今日この頃です。
リンナイも、経産省に報告したから良し。で終わったのはよろしくありません。事実として公表しユーザーに注意喚起を行うべきでした。その点では擁護しようもありません。潔く危機管理がなっていなかったことを認め謝罪すべきでしょう。
最近、ユーザー側の過失というもの以上にメーカーへの製造責任が大きく叫ばれるようになりました。いつの間にアメリカのような国民になったのでしょうか。
猫をレンジで乾かそうとして、死亡させ、メーカーに「生き物を入れてはいけない」と取扱説明書に書いてなかったといって訴訟になったことがありましたが、日本人の常識という物差しは訴訟社会のアメリカのように、個人差が際立ちすぎて白黒ハッキリさせなければならない方向へ傾いていったように見受けられます。
「公共」という意識の低下といいましょうか。
公共の範囲があまりにも狭くなりつつある今日の日本人を見て、悲しくなりました。
自分が子供の頃は、まだ隙間風が当たり前で、火を使うときは冬は窓を開けるのは常識でした。いつの間にか、忘れ去られ、家屋の機密性があがったこともあり、ますますCO中毒死の危険は迫っていたにも拘らず、ひとしれず亡くなって行った方がいたのかと思うとやるせない気分になります。
メディアにも責任はあります。隠していた事実を追及する手を緩める必要はありませんが、視聴率のために、よりショッキングな事実(殺人など)を取り上げることが多く、生活で身近に起き得る、誰にでも罹りえる災難については、全国規模ではまったく報道されず、見向きもされていない実情はいかがなものでしょうか?
報道の基本として、身近な脅威こそ注意喚起をするべきではないでしょうか?はっきりいいます。近所で起きたことでもない殺人事件などは報道するべきではありません。そういった報道ばかりするから余計に意味の無い社会不安を増大させます。もっと危険な命を奪う出来事(たいがいそれらは地味な事故であり、大きな衝撃を人々の心に与えないことが多数でありますが)に市民の目を向かせる努力をしていただきたいと思います。
そして、消費者側も危機管理意識をもっと強めるべきです。人間はとかく堕落したい生き物です。少しでも楽なほうに流れようとします。本能的にそうなっているから仕方ありません。それを把握して自分を律する力を継続させることこそ肝要でしょう。未然に降りかかる災難を払いのける努力くらいは自分達でしていくべきではないでしょうか。